日本神話ロケ地巡り 猪神の伊吹山【後編】

 日本神話の英雄、ヤマトタケルを倒した白き猪の姿をした神が棲まう山、伊吹山。
 その神話の舞台へと、実際に足を運んでみよう。


 「前編はこちら」


いざ決戦の伊吹山

 伊吹山の登山コースは主に「上野コース」と「上平寺コース」があり、そのうちバスでアクセス可能なのが上野コースだ。バスは長浜、近江長岡、関ヶ原・大垣から出ており、オカダは長浜に前泊し、バスで8:31に登山口に着いた

 登山口では三之宮神社が登山者たちを迎えてくれる。

 三之宮神社という名称については、かつては山頂に一之宮があり、中腹の白山神社が本来は二之宮神社だったのではないか、という説があるという。

 登山届と入山協力金を支払い、いざ山道へ。

 この伊吹山の登山道、森林に覆われているのは1合目と2合目の間、4合目と5合目の間くらいであり、それ以外は基本的には草原を歩く

 山頂付近は元から高山植物が育つ草原だったようであるが、中腹についてはかつて大規模にスキー場として開発をされた人為的な理由で木が生えていないようだ。

 また、伊吹山はドーム状の山で、通常の山登りによくある沢登りの区間が無い。ただただ山裾をひたすら山頂に向かって上る登山道になっている。

 従って景観としては変化が無くて非常に単調。

山頂まで道がずっと見えているので、自分がどこまで登ったのかが分かりやすいと言えば分かりやすいが、精神力を試される道になっている。

 写真のように急こう配を蛇行して一気に登っていく。

 この日は幸か不幸か天候に恵まれ、太陽が雲に少しも隠れることが無い快晴。木陰がほとんどない山道の登山は、直射日光との戦いになった。


山頂、そこにあったもの

 山頂までの時間はおよそ3時間半、水の消耗が激しい

 標高こそ1377mだが、登山道入り口が200mそこそこなので、1100mとなかなかの高低差を登っていることになる。

 

 最後の関門とばかりに急傾斜となる8合目9合目間を抜けると、ドーム状の伊吹山の広い頂が視界に広がる。

 高山植物保護のために設けられた鹿柵を抜け、山頂へと到着した。

 伊吹山には、様々な神道・仏教・修験道的施設があるが、その中でも中心的な施設が弥勒堂である。

 小さな石の祠には弥勒菩薩が安置され、ここが伊吹山登拝の目的地となってきた。かつては石仏や石塔などが多く奉られ、麓の上野地区の人々は雨乞いの儀式として「千束焚」「雷踊り」を行ってきたと、現地の説明版にはある。

 また弥勒堂はもう一つあり、南弥勒堂と言う。

 こちらは比較的新しく、明治45年に作られ、麓関ヶ原の石清によって製作された弥勒仏が安置されている。

 その時、同時に設置されたのがトップ画像の山頂広間に置かれたヤマトタケルの石像だ。

 登山者たちを出迎えるかのように存在する石像は、伊吹山のシンボルのようになっており、ここで記念写真を撮る人々も多くいる。

 そう、今、伊吹山の中心にいるのはヤマトタケルの像なのだ。


現在の伊吹山

 さて、この伊吹山の山頂であるが、歩いていると明らかに登山者とは異なる、街中の格好をした人が多いことに気付く。

 実は伊吹山は山頂までドライブウェイが通じている。

 中腹まで自動車道が通っている山は多くあるが、日本百名山のなかで、山頂まで車で登れる山は恐らく伊吹山くらいだろう。

 このドライブウェイの開通により、伊吹山の山頂は観光地化が進んでいる

 元々山頂が広いということもあり、通常の山小屋とは異なる海の家のような雰囲気の食堂やお土産屋が軒を連ね、ソフトクリームを食べることも可能だ。

 観光客の目当ては山頂からの景観と、高山植物。散策路を一周し、高山植物を観賞したあとは、土産物屋でお土産を買い、ソフトクリームを食べながら眼下の琵琶湖を眺め、ヤマトタケルの石像で記念写真を撮って帰っていく。


 と、書くと否定的なように見えるかもしれないが別に否定するつもりはない。何が言いたいのかと言うと、ここまで伊吹山の山の神が一切登場しないことだ。


 一応、白い猪の像はあると言えばある
 それは山頂の一角、伊吹山寺というお堂の横の小屋の中である。

 恐らく石膏で作られている猪神の像は、コンクリートブロックに茶色いペンキを塗られた小屋にひっそりとたたずんでいる。横には案内板があるものの、これも白ペンキにペンで書かれた簡素なもので、、、

・・・はっきり言って手書きで読みにくい

 ヤマトタケルを倒した偉大な自然の神である山の神は、現在こんな扱いなのである。


忘れ去られた地、高屋

 さて、話を神話に戻そう。

 ヤマトタケルが伊吹山のヌシに出会ったのは伊吹山の山頂ではなく、山中とある。この場所については地元では「高屋」という場所であったと伝わっているらしい。


 高屋は三合目付近、山の中腹の傾斜がなだらかな高原だ。

 この高屋にも実は明治時代にヤマトタケルの像を安置する祠が建てられた。


 下山の道中、その高屋を探してみた。と、言っても案内板はない
 三合目で登山道を外れ、過去に撮影された写真の背景に映る山裾の形と一致する角度を探すこと30分。ほぼ同じ角度を見つけたものの、月日が経って木の大きさが違う。道も埋もれかけている。

 それでも、獣道と化した道を歩くこと数分、茂みの中に埋もれかえた高屋の祠を見つけることができた

 高屋。ヤマトタケルが山の神に倒された地

 ここに奉られているのもヤマトタケルなのである。

 そして背後には大きな鉄塔が見える。 伊吹山の三合目付近は送電線が横断し、山頂は鉄塔と電線の向こうに見える


 そして高屋は三合目の西端に位置するのだが、伊吹山の西の裾野はセメント用の石灰岩の採掘場となっていて、大きく削られた人工的な景観となっている。

 ドライブウェイ、観光地化、採掘場、送電線・・・。

 日本神話で唯一天皇家の一族を倒した猪神がいた恐るべき山は、今は人の手てのよって大きく改変させられた山となっている。


 今のこの山には恐らく、猪神はいないだろう。

 そして実際、史跡としても猪神がいたことを示す場は少ない


 猪神の存在を伝える場所もほとんどない。小屋の中の簡素な石膏像だけである。
 ヤマトタケルは日本神話における英雄である。そのゆかりの地としての伊吹山というのももちろんある。しかし、だと言って伊吹山の偉大な自然と山の神の存在を忘れる理由はない。


 雄大な山容で、東海道を行く人々、車、鉄道、新幹線を今日も見下ろす伊吹山。

 その自然と歴史を思い起こしながら、あの山を見上げる人が少しでも増えることを祈っている


和はなび

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