日本神話ロケ地巡り 猪神の伊吹山【前編】

 皆さんはイノシシの神様と言えば、どなたを思い浮かべるだろうか?


 なるほど、「乙事主」や「ナゴの守」・・・それは、どちらも「もののけ姫」に登場する神だ。笑


 もののけ姫に登場する猪神たちも、火薬を使う人間たちと果敢に戦ったが、実は古事記にはそれを彷彿させるとても強力な猪神が登場する。

 それが伊吹山の神。日本神話における英雄である、あのヤマトタケルを死に追いやった強力な山の神様なのだ。


存在感抜群の伊吹山


 まずは伊吹山の場所について説明しよう。

 伊吹山は岐阜県と滋賀県の県境に位置する日本百名山に数えられる名峰だ。
 名古屋や岐阜の街が広がる濃尾平野と、琵琶湖を中心とした近江盆地を分かつ伊吹山地・鈴鹿山脈にあって最高峰の山である。
 その歴史は古く、もともとは三億年前の海底火山だったと言われており、中腹より上部は石灰岩に覆われているため登山中も足元には白い岩が目立つ


 山頂部は大きなドーム状になっていて、遠目に見ても存在感は抜群!

 伊吹山を知らなかった方も、東海道新幹線に乗ったことがある人であればきっとトップ画像の景観は見覚えがあるだろう。岐阜羽島駅と米原駅の間の区間、北側の車窓の中央にドーンとそびえる山、それが伊吹山なのだ。


 実はこの伊吹山、日本百名山の原則要件を満たしていない

 日本百名山には標高が1,500m以上であるという原則があるが、伊吹山の標高は1,377m。約123m足りていないのだ。

 ちなみに、伊吹山以外の百名山でこの原則を満たしていないのは、阿寒岳、天城山、開聞岳、筑波山の4峰。阿寒岳については標高が足りないと言っても1m程度だが、それ以外の山が選定されたのは、さらに3つの選定基準において圧倒的な評価を得たからである。

 その基準とは、①品格のある山、②歴史ある山、③個性ある山であるということ。確かに筑波山は平安時代から坂東武者たちの間で富士山に並ぶ霊峰として崇められてきた。開聞岳も、薩摩国一之宮枚聞神社が奉られる霊峰。天城山も徳川家の天領として伐採が禁止されてきた山である。


 伊吹山はそれらに並ぶ品格と歴史と個性を持つ山だ。

 戦国時代には織田信長が薬草の菜園を山中に作らせた歴史を持ち、9世紀から江戸時代までは修験道の山としても栄えた。

 また、麓にある関ヶ原は関東と関西を分かつ「不和の関」があった盆地で、この伊吹山が日本の西と東を分かつ壁となっていたと言っても過言ではない。


 そしてなにより、伊吹山と言えば日本神話の舞台であったことを忘れてはならない。それも、全国各地で豪族や自然の神を従えたり倒したりしてきた日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が唯一敗れ、命を落とすことになったのが伊吹山なのだ。


ヤマトタケルと自然の神々

 古事記や日本書紀に記される日本神話には、天皇家の一族がエミシやクマソなどの土着の豪族と戦う話だけでなく、自然の神々や自然の化身と戦う話も含まれている。

 有名なのは素戔嗚尊(スサノオノミコト)が退治した八岐大蛇(ヤマタノオロチ)という大蛇との戦いだが、ヤマトタケルも多くの自然の神々と対峙している。


VS 足柄山の白き鹿神

 まず最初に、足柄山の鹿の神だ。
 足柄山とは小田原の北部、箱根山の外輪山の一峰の「金時山」であると言われ、ここで現れた鹿の姿をした神をヤマトタケルは倒している。

 ちなみに古事記の原文にはこうある。

そこより入り幸して、悉に荒ぶる蝦夷等を言向け、また山河の荒ぶる神等を平和して、還り上り幸しし時、足柄の坂本に到りて御粮食す処に、その坂の神白き鹿に化りて来立ちき。ここに即ちその咋ひしたまひし蒜の片端以ちて待ち打ちたまへば、その目に中りてすなはち打ち殺さえき。かれ、その坂に登り立ちて、三たび歎かして「あづまはや」と詔りたまひき。かれ、その国を号けて阿豆麻と謂ふ。

 山中で遭遇した鹿の神を蒜(ニンニク)を用いて打ち殺したのだ。

 ここに至る前にも山河の荒ぶる神を平定しているわけだが、足柄山の神は直後に関東の古い呼び名である「吾妻(あづま)」の語源となったエピソードと合わせて紹介されている。


VS 秩父山塊のヤマイヌ

 古事記には記載がないが、日本書紀にはヤマトタケルは白い鹿神を倒したあと、道に迷っている。このとき、ヤマトタケルを道案内したのは白いヤマイヌだったという。

 原文はこうだ。

爰王忽失道、不知所出。時白狗自來、有導王之狀、隨狗而行之、得出美濃。

 白いヤマイヌの案内に従うことで、ヤマトタケルは美濃へ出ることができたという。

 この伝説を裏付けるように、秩父山塊には三峰神社や宝登山神社、武蔵御嶽神社など、ニホンオオカミを神様の眷属として奉る神社がある。
 また秩父山塊には「猪狩山」という、ヤマトタケルが猪を狩った山とされる場所もある。

 この、ヤマイヌが道案内をするというのは、ニホンオオカミが縄張りに入った人間を監視する習性があったことに基づいているという説があり、実際に江戸時代においても山中で人間を追跡する狼が全国的に目撃されており、「送り狼」という名の一種の妖怪として知られていた。

 ヤマトタケルはヤマイヌを退治することなく、従えることで、無事に険しい山々を乗り越えたのだ。


伊吹山の山の神との遭遇

 こうして連戦連勝を重ねてきたヤマトタケルが最後に出会うのが伊吹山の山の神なのだが、ここでどういうわけかヤマトタケルはこれまで道を切り開いてきた草薙剣を美夜受比売(ミヤズヒメ)のところに置いてきてしまう。

 そして伊吹山の山中で白い大きな猪に遭遇する。原文は以下の通りだ。

かれ、ここに御合しまして、その御刀の草那芸剣をその美夜受比売の許に置きて、伊服岐の山の神を取りに幸行しき。
ここに詔りたまはく、「この山の神は、徒手に直に取りてむ」とのりたまひて、その山に騰りましし時、白猪山の辺に逢ひき。その大きさ牛の如し。ここに言挙して詔りたまはく、「この白猪に化れるは、その神の使者ならむ。今殺さずとも、還らむ時に殺さむ」とのりたまひて、騰りましき。

 ヤマトタケルは慢心したのか、伊吹山の神は素手で倒すと言って山に入り込んでいる。

 そして白猪と遭遇しても、それを神と気づかず山頂へと歩き続けようとする。しかし、その白猪こそ、伊吹山の山の神だった。

ここに大氷雨を零らし、倭建命を打ち惑はしき。この白猪に化れるは、その神の使者にあらずてその神の正身に当りしを、言挙によりて惑はさえつるなり。かれ還り下りまして、玉倉部の清水に到りて息ひましし時、御心稍寤めましき。

 山の神は怒り、大氷雨(雹あるいは大雨)を降らせてヤマトタケルの正気を失わせた。ヤマトタケルは麓の清水で回復するが、三重県亀山市に比定される能煩野(のぼの)という地で亡くなってしまう。


 ちなみに日本書紀では山の神では猪ではなく、蛇の姿で現れる。

 これについては、日本書紀は国外、特に中国向けに作られた日本の歴史書という性格上、一般的な水の神としてのイメージが強い蛇に編集段階で修正されたのではないかと、オカダは推察する。

 このように、日本神話で最も有名な英雄と言うべきヤマトタケルは、戦争や内紛などではなく自然の神、それも猪の姿をした神によって殺されているのだ。


 自然の神によって天皇家に近い人物が殺されるという話は古事記の中でも珍しい。倭迹迹日百襲姫命(ヤマトモモソヒメノミコト)蛇の姿をした三輪山の神に出会った際に、針に刺さって死ぬ話もあるが、それはあくまで偶発的なものだ。


 このように古代からの伝説が伝わる伊吹山は、実際にはどんな山で、そこにヤマトタケルの足跡は残っているのか。

 後編につづく!